2010年3月6日土曜日

愛がなんだ?!


再び「いのちの輝き」より。

 「自分が大いなる進化のなかにいると気づいたとき、人はどう変わるのだろうか?


 たとえば、その人は弾むように軽やかに歩くようになる。たえず自然の美のエネルギーを吸収しているからだ。たとえまわりが自然に無関心な人たちばかりという環境に居ても、ささやかな自然にひそむ細部の美の多様性に感動し、こころを打たれるようになる。そして自然とのつながりはますます強く、豊なものになっていく。



 その人はまた、自己を表現することによって進化をかたちにあらわすようになる。自己の内なる健康を外部の世界と交流させるようになる。人を助けることに喜びを見いだすようになる。もとめられる前に、すすんで手をさしのべるようになる。



 健康であることの大切さは、ただ自分のためだけではない。自分の健康はある意味で、すべての生き物の健康と進化につながっているのだ。われわれはともに、この世界を分かちあって生きている。あらゆる生き物が平等に、宇宙の力に頼って生きている。だから地上に生きる目的のひとつは、われわれすべてがひとつの存在であるという事実に気づくことにある。」




 昔々、いっちょまえに、胸が裂かれるような悲しい事が沢山あって、ある日、泣いてばかりの私に、大人の人が教えてくれた。「愛とはね、理解と信頼ですよ、ユミコさん。」 一粒の種が投じられた訳ですね。その種は、やがて芽吹いて、枝葉を拡げて行きました。「understanding」、揺ぎない「confidence」、もう少し大人になって、「acceptance」、それから「forgiveness」・・・・。これらの言葉って、全部おんなじものを説明しているみたい。



愛は幾つもない。愛は一つだ。

愛は、減らない。愛は、つまり、失えない。



 上に引用した、フルフォード博士の文章を読んでいて、たしか柳田国男だったと思うけど「疲れ果ててとぼとぼ歩いてくる人に、黙って野の花を一輪差しだすような」・・・という一文をなぜか思い出したんですね。その心持こそが・・・芸術だったか文学だったか・・・忘れちゃったんだな、これが。もう一度読みたいのだけど、本を捨てちゃったし、日記に書き付けているけど、膨大な記述から探し出すことも難しく・・・誰か、知ってる人いたら教えて下さい。



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こういうこと言うと、怒られちゃうかもしれないけど、私は、な~んの大層なことの一つも考えてないんですよ。「ヨガの先生として、人々にヨガの良さを伝えたい」とか「立派な先生になりたい」とか・・・そんな大義名分は、ひとっつも抱いていません。過去に抱いたことも・・・(すまん)一度も無い。(実際、東京で先生になることになった時、NYに逃げ帰ってますからね。でスワミジに You can make it ! Go to Japan ! とか言われて追い返されて。


 ただ、自分が変われば、世界が変わる、その手ごたえは信じているんです。仏教でもたしか、災害だって辱悪な想念の集合に起因するものと説かれるでしょ。自分とこの世界とは、たがわず一つのものだとういうことを、全身全霊で現す、つまり、きらきら生きる。地味な草の根運動かも知れないけど、それが全てだと思います。
だから私は、その挑戦に、この人生を賭ける。


 黙ってそこにある野の花でいい、一輪でいい。疲れてとぼとぼ歩いてくる人が、微笑んでくれても、そうでなくても、どうでもいい。「あなたに笑っていて欲しいから」というモチベーションは、たぶん「愛」じゃなかった。あなたが笑ってくれなくても、私は変わらず、そこここに、限りある命の全てを賭けて咲こう。しかし、どんな嵐も、この花を、傷つけることは出来ない。その花の「本質」を知っていること、その強さ、それが私にとっての愛です。



だって、愛は傷つかない。



以下、写真家であった星野道夫のエッセイより。



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「いつか、あるひとにこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕日を一人で見ていたとするだろ。もしも愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」



写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンパスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな。



 『その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって・・・その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって。』



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ね?愛はどうだ!