2010年6月2日水曜日

徒然草、根無草、浮草。


 すっかりご無沙汰してました~。どうやらパソコンアレルギーのSitaです。メールのお返事もすっかり溜まってしまって、すみません。順繰り、順繰りで、書いていきますので待っててね・・・・。
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 このカラダも、だいぶ古くなってきたってことでもあるのでしょうが、自分の内側から発生するリズムと、現在身を置いている環境との間のズレが大きくなってきたってのもあるみたい。どうも、バシッと来ないんですよ。でもそれが丸ごと、今の自分だから受け止めるだけなんだけどね・・・。まあ、そんなモヤモヤのときは自然の力をチャージしに行くのですが、最近はなんだか腰が重く、サボってました。で、やっとの思いで、行ってきましたよ。私のチャージ場所は、大抵めったな山奥。渓流および滝。今回は栃木。写真、きれいでしょ?生きるってのは、これでなかなか、苦しいもんです。
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 徒然草の吉田兼好と、どうも私はタイプが似ている気がして、佐藤春夫の現代語訳を買いましたが、これが面白い。名訳です。「鬱屈のあまり、一日中硯にむかって、心のなかを浮かびすぎるとりとめもない考えをあれこれと書きつけてみたが、変に気違いじみたものである」・・・ああ、やっぱ、似てる。外に求めずに硯に向かっちゃうあたり・・・。でも、有名な第五十九段は、寂聴さんの訳が厳しくて好きかな。
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 前にエミール・ウェンデル先生との質疑応答の時に、生徒さんをどこまで導いて良いものか・・・・という質問をしたんですね。準備が出来てない人の心と体にとっては、ハタヨガはtoo much な場合があるから。
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 先生の答えはこうでした。
「まず我々は、生徒がその人生で何をすべきかということを、対話や観察眼をとおして見極める必要がある。その生徒が、家族を持つ人なら、家庭に支障をきたさないように教えなさい。育児を放棄して裸で走りまわったりしては、その人は親としての義務を果たせないから。でも、もしその生徒が独り身であり、かつ彼の人生が他に追うべき義務がない、修行の為に尽くせるものであるなら、裸で走り回ることの、何がいけないんだい?」(まあ東京では、まず問題だと思うけど・・・・) 
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 今思えば、あの質問は、私自身の迷いの投影だったんでしょうね。家庭も持たず、商業的な野望も持つわけでもなく、謎の修行をしている自分。両親や、社会に対して後ろめたいような、そんな気持ちがあったんだと思います。エミールは、一通り回答を述べたあと、私を振りかえって微笑んで、じっと目を見てこう囁いた。
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「Life is short. Go for it.」
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 これはまさに、徒然草の五十九段を、集約した言葉。「どこかの生徒さん」ではなく、私のことを私に向って言ったんですね。優しいけれど抗い難い、妙な重さのある言葉でした。特に「go for it!」の部分には、背筋も凍る凄味があった。私がこれまでの人生で言われた「忘れられない一言十選」に入るんじゃないかな・・・。なのに、今も、まだウジウジしてるんだけどね。うははは。
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 とりあえず、みんなの助けを借りて、夏の大阪、行けそうです!秋には福岡いったる。つぎはきっと東北いくぞー。そしたら・・・そしたら私は、行くべきとこに、きっと行こう。エミールの言葉を、この人生で絶対に無駄にはすまい!と心奮い立たせる私でした~。