2011年3月15日火曜日

Amboli より愛をこめて。

 皆さん、特に日本の皆さんはいかがお過ごしでしょうか?いろいろと不自由なことが次々とあるとお察ししますが、どうぞ、心の冷静を保たれますように、お祈り申し上げます。


 アンボリは今日も天気ですが、さっき、突然の突風が吹いて、また去っていきました。このような時に慣れないことが起こると、ドキッとしてしまう自分がいます。


 このあたりでは計画停電のみならず、突発的な長期の停電も恒例のことで、(ポンプで汲み上げていますから)水が出なくなることにも慣れ、ご飯のための食材も週に一度だけ立つ10Km先の道端市場に買いに行かねばならない。そういったことにはすっかり慣じんでしまいました。毎日二回のご飯が食べられて、寝る前に水を浴びられることは、ここでは、とってもありがたいことなんですよね。。。。類は友を呼ぶのか、私にはあまりお金持ちの友人がいないので、家に泊まりに行くというと、床にゴザ敷いて、ネズミに齧られないように全身をシーツにくるみ(狭いから女同士なのに)密着して眠る、ということもまま有り、トイレは裏の丘です!というのにも慣れました。でも最初のときはショックで、ガッツリテンション下がりましたけどね。やり場の無い不機嫌みたいな気持ちがしばらく、心の底にくすぶりました。


 被災時にめっぽう強いだろうと思われる私が、今日本にいないのは皮肉なことですが、私は、トイレは野天なんて、お尻を手で洗うなんて、硬い床で寝るなんて、「ありえない!」といういつの間にかの拘りというか、リミテーションを、ひとつ手放すごとに、なにかを許せた気がします。怒りを手放せた気がします。自由になれた気がします。良いときにも悪いときにも、感情や状況のその奥に流れる絶え間ない幸せが、私の存在を支えてることに気づけた気がします。インド人に教わったことは大きすぎる。


 インターネットにも制限があるし、Facebookやメールでの皆さんとのコンタクトが十分でないことに、肩身の狭い思いで気持ちでいっぱいですが、私に繋がるすべての友、すべての人、すべての物へ気持ちが伝わってくれたら幸いです。幼馴染のカマやん、私の代りに、ぜんぜん知らん人に、私の無事を知らせてくれてありがとう。




 スワミジが私のことをシータマタとか、シータマと呼ぶので、すっかりお母さん色が定着してしまった私ですが、こちらのディレクターのヴェーダーンタキャンプも終わり、明日からまた私達のプログラムが始まります。忙しくなります。。。が、TULASIが去り、来週にはスワミジも暫く出かけてしまうので、文字通り、このアシュラムのシータマタになってしまう。なんてこと!寝る間も無くなる!といいつつも、なんとか一人で切り盛りするのでしょう。機嫌よく生きるか否かは、多分自分で選ぶことなんだろうし。

 この三ヶ月間、たくさんのCome and go を定点観測してきましたが、もう少し根詰めて眺めていようと思います。津波以来、鴨長明の方丈記を思い出す日々です。どうぞ皆もCeerfulに暮らしてね。悲観は雰囲気、楽観は意思だって、誰かも言ってたから。これってすごい発見だよね?

またね。


シータマタより