2012年3月8日木曜日

中国、インド、往復書簡。

中国にいるお友達からメッセージ。じゃじゃん。またも勝手に掲載してごめんなさい♪

「アシュラムの生活とはどんなものやら、あまり想像つかぬ・・、と思っていたら、ちょうどさっきNHKのBSで「菅野美穂 ヨガ聖地への旅」とかいうのをやっていました。菅野美穂(どうやら日本でちょこっとヨガを齧っているらしい)が、リシケシのシバナンダ・アシュラムとやらを訪ねる1時間番組。残念ながらアシュラムでのロケは10分ほどで、あとはほとんどインド紀行みたいな番組になっており、で、最後にはそこの高僧のようなスワミなんとかという人(ヨガ界では有名らしいので、知ってますよね?)を(その人は既に病床にあり隠遁生活をしているというのに)無理やり自宅に押しかけて、面会して感動する、みたいな内容で、これじゃ芸能突撃レポーターと同じ では・・・、とちょっと残念なところもあったのですが、それはさておき、菅野美穂の可愛さに見惚れていました。

 というわけで、由美子さんのそちらでの生活の一端は残念ながら垣間見れず、でしたが。

 ヨガを表現する言葉として、番組中にも「心の平穏」や「心と身体の統合」といった言葉がよく使われていたのですが、それは今の日本に対するアンチテーゼみたいに(番組的に)意図的にクローズアップしているしているような感も否めなかったのですが、確かに日本人(西洋人も?)のイメージするヨガ(もしくは禅とかも)そんな印象なのだろうと思うのですが、インドの人もヨガってやっぱりそん な風に捉えてるのかな?僕も実は若い頃はそういう「解脱」めいたことに少し興味というか憧れというのがあって、そんな方面の本を読んだりもしたことがあったのだけど、歳とともに、結局はそんな風にもなれそうにもない、且つあまのじゃくな僕の場合は、「ふん、仙人などにはなりたくない! 下界で己の俗と欲に 正面向かって、一生煩悶していくのが人間」と、これまで俗+欲にまみれた人生をおくって今に至るのですが・・・。ヨガの先生にくだらない質問をしてしまいました。」


それに対する私のお返事が・・・


「夜まで仕事といっても、朝晩は瞑想のサンガっていうんですか、集まりがあるので、そこに行かなきゃいけない、っていうだけなんです。座って30分ほど、瞑想して、そのあと、バジャンっていって、ご詠歌みたいな時間があって(これは私が楽器を弾いて歌ってリードするのですが、結構たのしい・・・)、そのあと先生の講話を聞いて、締めくくりの火の儀式(ガンジス川とかでよくやってるやつ)をして解散になります。

ここでの生活をざっとまとめてみると

5時  起床
5時半 瞑想の集まり
7時  チャイ
7時半 ヨガ
9時半 ランチ
10時半 奉仕活動
11時半 講義
12時半 チャイ
13時半 講義
15時半 ヨガ
17時半 ディナー
19時半 瞑想の集まり
21時半 就寝

・・・・といったかんじ。健康的でしょう?実際大分、体内も、感情的な部分も綺麗になりますよ。そうすると、物事がシンプルになるというか、視界がクリアになりますね。私は、もうなんども、コースを手伝っているので、講義は今回は聞かなくてもいいやー、と思い、事務をしたり、洗濯したり、適当にすごすことにしました。


 ヨガって、つまり、知識が宿れる綺麗な心と体を作る、不純物をためないライフスタイルのことなんです。では知識とは何か、というと、自分自身に関する知識です。

 普段、私=この体ですとか(私太ってますって言う時)、私=この感情です(私悲しいです)、私=職業(私医者です)、私=名前(私由美子です)、というアイデンティファイをしているのですが、これは実は間違いで、それらの全ては変化して、いずれは消えていってしまうもの。では、自分自身の変わらないものってなんなの、みたいな話。それを認識するのが、悟り、ってやつです。こうやっていきなり書いちゃうと意味がわからないけど、結論が幸せとは外にあるオブジェクトではなく、自分自身の存在そのもののことです、っていうこと?自分自身がハピネスだと悟ることを、あるいは、自分の本質ではないもの(名前とか、体とか)から解放されること。


 だから、体が痛くても、地位や名声が低くても、魂が平和な人!のことを悟った人という、そういう人は、どこにでも存在可能ですから、どこにでもいます。言い方をかえると完全な自己受容ってことかな。もうちょっと背が高ければ、とか裕福な家庭に生まれてれば!とか、そういう過不足感のないひと。案外簡単でしょ。」


そうなの。案外簡単なの♪

今日は可愛く♪マークを多用してみました。ルンルン気分(古っ!)

またね。