2013年5月28日火曜日

勇気

あれよあれよ、というまに首を横に振らなくなり、日本での暮らしの波にザザンッと乗った。週末大阪ですけど、今年もホットな夏になりそうです。

このブログ、毎朝起きたら開いてくれたり、楽しみにして下さる方が沢山居るのに、インドではだいぶサボっていたので、しかも、そのサボり性が身に付いてしまって困るので、今年の夏勤勉宣言します。

まあ、私は人間なので、日々いろんなことを考えていて、おそらく他の人よりも脳みそが落ち着かないというか、多くのことを考えているようで困るのですが、でもこんなこと思ったよ、というのは大切なことなんだな、って長いことインドで色んな国の人と接した中で知りました。

日本のしんどい点は、本音と建前のある文化、距離の計り合いが重要だったりするわけです。だからKYという言葉なんかが出来たりしてね。これが日本の文化だからどうしようもないんだけどね。でも黙っていたらそれは思ってないのと同じことなんだよ、ってことを我々はインドや諸外国の人との関わりで教わるわけです。インド人なんて全員スーパーKYだよ。それで何がいけない?って思う。

インドのずばぬけて良いところは、どんなに泣いても怒っても喚いても、誰もそのことで私を疎んじたりしないってこと。全ての勘定の存在をまるごとアルガママに受容する背景がインドにはあります。また、その背景のことをヴェーダーンタといいます。昨日泣いても今日かわらず愛してもらえる。変な国ですな。


これが、すぐお隣のスリランカになるとまた違ってて、スリランカは極めて日本人と似ている。感情のダイナミズムはあっちのが大きいけど、基本的に日本人とイコールで良いと思います。日本から旅行に行くならスリランカはとてもお薦め。インドから旅行に行くなら、ちょっと私はしんどいかなあ、そのギャップが。でも美しい国です。インドほど過酷ではないし、これからどんどん開発が進んで自然が消えて行く前に見て欲しいな・・・。小さい国土だから、もし大手の会社が開発なんか手をだしちゃったら、あっという間だと思う。


日本にいると、いろんなことを考えます。私は自分で思っている以上のアナーキストであり考える葦なのです。複雑にからまる本音と建前の社会で、誰も彼もがアメリカ人の10倍、インド人の100倍位考えまくって本音を燻らせる。でも自分の思ったこととは素直に付き合いたいなって最近はそんな風になってきた。ちょっと嫌だなと思ったら近づかなければいいし、いいなって思ったら近づいてみる好奇心があった方が良い。

私は「摘まれるのを待っている可愛いお花」みたいなのは嫌だ。本音と建前の狭間で打算に生きる女になりたくない。ではどんな女性でいたいか・・・と言われたら、たぶん「勇敢」な女性だと思う。自分に対しても自分以外に対しても。

勇気という言葉は日本語で一番好きな言葉です。
阿久悠の詩をまた思い出してしまう。




傷つけないようにハッキリと言い
侮辱を感じさせない態度をしたら
あとは 自由に生きなさい
強く生きなさい
自由で強くてやさしい子を
凛としていると言います
凛とした女の子になりなさい
凛とした・・・
近頃いないのです


(「凛とした女の子におなりなさい」阿久悠 より)