2017年6月26日月曜日

シータマ徒然草




人間てのは生きていると、いろんなこと思うもんだね。
思い考えるという現象はかくも奔放で・・・。
ちょっと吐き出します。


◆英語のについて◆

のっぺりとした毎日を送っている。毎日、英語を日本語に直している。なんでこんなに時間かかるかなあ・・・と思いつつ気づいたんだけど、表現が非常に回りくどい。これがイギリス英語というやつか!とふいに思った。

で、前にラジオでやってたアメリカ英語とイギリス英語の違いの番組を思い出した。飛行機の中で毛布を頼むとき。

アメリカ人「Can I get a blanket?」

そうそう、うちらの感覚はこれです。ところが!

イギリス人「Can I possibly trouble you for a blanket?」

はあ~?

そうなんだよ、これなんだよね。この回りくどさ。これがもっと酷くなった感じなんだよ。大変だよ・・・。でも、文学的で美しくはあるんだよね。


◆チャリティーのこと◆

特に一貫したテーマがあるわけではないのだけど、ときどき、チャリティーの企画をやってる。最近もひとつ終えた。合同の企画だったので、いろいろと議論があって勉強になった。

私が私の名前でチャリティー企画を発信する時は、「ここでヨーガすることが寄付に繋がりますよー」「寄付するとお礼にヨーガついてきますよー」ではなく、「ヨーガ教えますよー」といって、授業料をお支払いいただく。まあいつものクラスだ。それで集まった授業料を自分の決めたところに寄付するイエス高須方式。

所有から自由になる練習っていうか、人に手を差し伸べるの練習っていうか、まあ、自分の躾けだよ。だから、いくら集まったかはあまり重要じゃない。そもそもお金に投影する価値ってその人の状況によって様々だから、金額云々では測れないよ。

それに私、お金使うの大して上手じゃないから、私より有効に使ってくれる人に使っても貰えたらきっといいし。チャリティーの仲介人ではなく、単なる寄付する人なわけです。

この個人的な行為を時々公にするのは、Swami Sivananda Gurdev の教えの「教え手」としてのデモンストレーションなのだと思う。

異論反論あることでしょうけど、とにかく、自分でこうしようって決めたってチャレンジ。すごく貧乏な時も何かしらやる。

というのは、「深夜特急」に国境越えのバスに物乞いの子供が寄って来るシーンがあるんだけど、自分の飯も最小限な貧相な西洋人の男が、僅かばかりの財産である小銭を指でツーッと半分に分けで、半分を自分に、残りの半分を子供たちに差し出すんだよね。主人公は圧倒されてそれを見ている。そのシーンのインパクトなのかな。あと、私のお友達の弘美さんも、そういう人だから、かね。


◆食事◆

毎日の自炊が楽しい。好きな葉っぱものをサラダで存分に食べられるのが良い。ご飯の時は納豆と野菜炒め。蕎麦の時は豆腐。パスタの時はサラダ大盛。調理時間は15分程度。米は一日半合と決めている。味付けはオリーブ油とインドのブラックソルト。ガッツリいきたい時は、ポテトコロッケをかつ丼風に煮て、卵の代わりにチーズでとじたり。

ハタチ過ぎのころに、感覚的な遊びとしてグルメにハマったことがあったが、感覚的な喜びというのは兎角キリがないものなので、「もういっかな」と思って。わりと同じものばかり食べてるが、しかし今のほうがむしろ旨い。


◆コンサート◆

コンサートというのかどうか、ちょっと分からないのだが、7月に予定されている大阪でのサンキールタン、45名の定員を設け、予約があと2名となった。

世の中にライブハウスというのがあって、その多くは、出演側にチケットノルマを課す。箱にもよるけど、一バンドあたり20~25枚くらいだったかな。これをメンバーで手分けしてさばく。これが毎月となると、そんなに楽勝ではなかった記憶がある。そこで人のライブにも打ち上げにも足繁く通って顔を売ってチケットも売る、みたいな。

それを思うと、あと二名というのは、ほんとすごくて、ありがたいことだと思う。人前で演奏するということは同じなんだけど、なんか、少し違うことをやってるのかな、とも思う。


◆記念日◆

自分は本当に記念日、どうでもいいタイプの人間みたい。国際ヨガの日とかも(発足時のセレモニーに参加してるくせに)実は、かなりどうでもいいというか・・・(笑)。でも毎日がスペシャルデーといえば、そういうことにもなるんだよな。本当にのっぺりとした毎日を送っている。