2012年2月28日火曜日

巡礼キャラバン記① 未完。。書きかけですよ。

引越し顛末記~第二段・・・改めて巡礼キャラバン記です。私たちのYatra(旅)の記録を写真で。引越し兼、寺院巡礼が目的なのだけど、寺院内は通常、写真の撮影が出来ないので、どうでもいい旅のスナップ集になってしまいました。おそらく、1200Km以上、小さなバスで走ったと思います。それではどうぞ!

〈2月12日 Yatra1日目〉Amboli(Maharashtra) to Gokaruna(Karnataka)
荷物を積んで・・・


いざ出発。Tulasiは名作写真を撮る天才だね。


マイクロバスの中は・・・狭いです。これで七日間。


時々とまっては車のエンジンを冷やし冷やし。


私も冷やし冷やし。


 この日はGokarnaという土地の司祭の家に泊まりました。私は会計の仕事が残っていたので一人部屋で留守番。皆はビーチにサンセットを見に行っていたみたい。

〈Yatra2日目〉
 早朝、4時何分だかに集合してGokarunaのGokarneshwara(Siva)寺院へ。海で沐浴して、暗闇で濡れた服を着替え、ヒンディー以外は入れない寺の中に、なんとネパール人として入れてしまった。がんばって暗闇でサリーを着た甲斐があった。インド国内の12の重要なシヴァリンガムのある寺院で、私たちはそれに触れさせて貰え、一生に一度の貴重な体験でした。


これはメインのお寺の外の何かしらの寺院だね。誰かのカメラで撮影された模様。


早朝のPujaを終えて、ビーチを歩いて今度はRama寺院へ。頭にタオルを巻くインド男スタイル。


次なる目的地は、MurdeshwaraのSiva寺院です。世界で二番目に大きい像が有名。ちなみに一番目はブラジルのキリスト像だって。


ここで突然、私は人気が出て、写真撮影の以来が殺到。なにゆえ?


つづく。。。

2012年2月27日月曜日

おーむ!

皆さんお久しぶり。Sita元気です・・・厳密にいうと、元気になりました。先月のアドヴァンスコースが始まりましたー!の後に、結局何の報告も出来ないままに、コースはとっとと終了しまして、皆さん散り散りに帰っていきました。私も、殆ど徹夜みたいな状態で、アシュラムの荷物と自分の分をパッキングして、7日間に渡る引越しの旅に出たわけですね。その間、ブログの更新どころか、スカイプの約束とか、一切実行できず、すみません。ATTC忙し過ぎだから仕方ないか・・。生徒の皆さん、本当によく頑張りました。出来る限りリアルタイムで、いろんなことを報告したかったのだけど、引越しの最後のあたりで、非常に具合が悪くなり、数日寝込んでしまったのと、先月、希望の星であるMyパソコンが壊れてしまったのと・・・まあそんなこんなで、すっかりご無沙汰してしまいました。

 今はどこにいるかというと、引越しを終えて、ケララの風光明媚なヴァルカラビーチです。良い所だけど、あまりに俗世間・・・という感じで、その意味では修行向きの場所ではないですね。それから、州外から集まる泥棒たちも多いので、少し緊張を保っていないといけない。そういう環境です。そこで、今シーズン最後のTTCが始まりました。

 また予告になりますけど、第一にみんなにシェアしたいのは、巡礼を兼ねた引越しの模様。日本から美由紀ちゃんも駆けつけ合流してくれて、ちょっと飛び飛びだけど

Amboli
Gokaruna
Murdeshwar
Kollur
Udupi
Kasargod
Trivandrum
Kanyakumari
Sucindrum

などなどを巡ってきました。

中でもレアだったのは、シャンカラーチャーリヤの生誕地の、ええと、カラディだか、そういう名前の地ですね。シャンカラが鰐に噛まれた川岸でチョロッと沐浴しました。もうひとつレアだったのは、絶対に知り合いはおろか日本人にすら会わないだろう、というKollurの寺の境内で、ヨガジャヤのアサコちゃんにバッタリあったこと。アサコちゃん、その節はありがとう。写真で各地をご紹介したいのですが、いま、写真を添付するアイコンが何故か表示されないので、次回頑張ってみます。今度は、きっと有限実行。


またね!

2012年2月3日金曜日

静と動。

 



 みっちり詰まったお弁当箱のような日々を過ごしておりますが、「先生、ヨーガって何ですか」と問われたら・・・いろんな言葉で伝えることが出来るんだけど、今の私はこう答えたい。ヨーガとは静けさ・・・と、身に染み入るように思うのです。「幸せ」とは・・・自分自身とは、満ちもせず欠けもせず、絶え間ない静けさのようなものかも知れない。

 私達「人間」の思いや、営み含めて森羅万象の、すべては現れては消えてゆく姿。縁あってこうして「同じ釜の飯を喰って」暮らす、あなた達皆との、袖の触れ合いも、すべて。

 だからといって刹那的な気分にはなれないのですね。そのひと時のすれ違いの中に、実は永遠が、多分ある。今の私が「静けさ」と呼びたい何かが。

 だから、全ての出会いは尊いのではないかな?

 これまで、私は

「人間の出会える時間は限られてるから、だから尊い」

・・・って思ってたけど、違ったかもしれない。離れ離れみたいな私達全員の隙間に、本当はたがわない、変わらない、無限性みたいなものあって、本当は全然離れていない。

 知らず知らずにも、私達がそれに触れて、繋がっている一体感が、幸福感なのかもしれない。あれ、私なに言ってるんだろう。

 とにかく、とても静かです。一瞬、一瞬が。


 私が輝くから世界が輝くんだ。

 (写真は大地を輝かせるかのごとく横たわるラディカ。大物・・・!)

 世はマーケティングの時代ですけど、私はこうして、思ったことを何でも書いてしまうが、出来るなら、そんな風にずっと正直で居たいと強く願う。そうあれるように、まず自分に誠実で居たいし、自分を映す師に誠実で居たい。そして同様の生徒の皆さんに。

 だから心の中を混乱させず、いつもきちんと整理整頓しておかなくては。付加価値に振り回されず、裸一貫の本質で世界と対峙したい。まあ、それが私のマーケティング戦術なのかも知れないけど(笑)。



 ここで、自分以上でも以下でもなく「そのままで」居させてもらえることの有難さがまた身に染みます。

 感謝!