2012年3月26日月曜日

CHARITY YOGA FESTIVAL



Mari invited me such a nice ivent.Please visit us.
detail:here

See you soon!

2012年3月24日土曜日

Something beautiful, something great.

I'm in Udupi now. Tiredness for 6 months is coming out gradually. Otherwise I'm okay.

I got email from Hiroko san. Thank you for your beautiful message. I always be helped by massages from students. I would like to share her letter everybody.

Hiroko san, thanks again. You're right. You've reached it. See you soon.



先生、ブログ読んでます。
アロマヨガ銀座で教わっていたひろこです。

先生が好きな星野さんが書いた、
伝えたい風景を見て自分が変わる事がお土産だと言う話。
(ざっくり内容ですみません。)

ずっと気に留め、私なりにやっとまとまりかけましたのでメールします。

美しい風景を見た私が、私の中にそれがあることに気づいていくと言う事かな。

最近やっと、全てが私の中にあると感じる?思える?です。
それがあることをジャッジしないようになりました。
でもやはり、美しい花と同じ美しさが私にあるのを思うと、
心に安らぎを感じます。
それと並行して、逆な感情に寛大になれます。
それも在るなら、あれも在るだろうと認められます。

やはり、星野さんの真意には届かないや。
引き続き気に留めていきます。

由美子先生、発信された事に直ぐにピン!と答えられないけど、
ブログ楽しみにしています!

またメールします。

2012年3月22日木曜日

さよなら三角、また来て四角。





Om Namah Sivaya,
Blessed self,

 長かった、あるいは短かった5ヶ月半が、ようやく終わろうとしています。

 そう、今期最後のコースが終わり、今朝から、皆が少しずつ散り散りに帰路につきました。どんな気分?と生徒さんに聞かれたけど、私は「いつもと同じ」と答えた。特に、淡白な、という訳ではないんだけどね。私の出来るただ一つのことは、いつも、いつも、ただ黙々とすべきことをするだけ、それだけだからさ。

 二年目。今年もいろんなことがあったな・・・。我らがコック長のラジャネーシュが、最後の最後に、コース受けなさい、といわれて、緊張しながらも頑張ったことは、今期最後の良い思い出になりました。途中から従兄弟のパルヴィーンがコックに加わったのも、とてもフレッシュで可愛かった。調子にのって遊んでいたら、木から逆さに落ちて首が痛くなったときも、気の毒だったけど、可愛かった。沢山の弟が、ヒマラヤのふもと、ネタラの村にできました。


日付が間違っていて、多分これは2009年。ラジャネーシュも私も若い!


そして、今では立派なキッチンマネージャー、そしてヨガの先生。ようやく家族のもとに帰れるね。ラジャラジャは来月パパになるんだよ。



今年も、スワミジのSYVPは波乱万丈だったけど、無事にこうして、全てのコースを、素晴らしいものとして終えることが出来、皆さんにはとても感謝です。特に、遠く離れた場所からわざわざ来てくれた日本人の皆さん。

Kayokoさん、
Hisaeさん、
Yukaさん、
Naokoさん、
Takakoさん、
Satoriさん、
Kimikoさん、
Sayakaちゃん、
Tamakiさん、
Yukariちゃん、
Miyukiちゃん、
Mariちゃん、
そしていつも気持ちよく笑って支えてくれたTulasiマタ。

ついでに、打たれても、打たれてもめげずに頑張った自分、Sitamaに。

どうもありがとう。

明日、スワミジを送り出して、翌朝の列車に乗ります。日本が少し近づいてくるね。

二年目。じっとこらえて定点観測していたら、スワミジをとりまいて、偶然を装って現れる必然の、大きな大きな渦の秘密が、少しだけ読めたような気がした、二年目でした。

2012年3月16日金曜日

近況報告

ああ、やはり今日も、写真のアイコンが出ないのですね・・・・。

 皆様、お元気ですか?ヴァルカラは、暑いです(笑)。今期最後のTeachers Traning Courseも、もはや佳境にはいっています。何もかも「?」でやってきた生徒たちが、例のごとく、それぞれ自分らしい、っていうのかな、そういう素敵な姿になっていくのを見させてもらえるのは、壮観といって過言ではない。これは、先生であることの嬉しい点の一つだな・・・。長そうに思えた6ヶ月も、終わってみると(終わってないけど)、毎度ほんとうにあっというまです。

 しかし、人との繋がり、というのは、本当に不思議なものですね。

 今、ヒマラヤはウッタラカシのSwami Chetan jiの日本人生徒さんが来てくれてます。彼女は、スポーツの業界にお勤めなのだけど、その世界にヨガをリンクさせることをしてみたい、とのことで、私もアスリート時代(なんちゃってだけど・・・)の経験を語らせて頂いたり、とても楽しい時間をすごしています。

 Swami Chetan先生(・・・毎年来日されてるので、ご存知のかたも多いと思うけど・・・)がうちのお父さん(Swami G)と仲良しということで、Swamiji達は私の知らぬ間に、その生徒さんに私を紹介してくれたのですね。先日初めてSwami Chetanと電話でお話したけど、昔から知っているような、面白い感じでした。ちなみに、インド人なのに、声が低くてとてもカッコよかったです。これらの縁は、これからもきっと繋がり続けていくのだろうな、と思うし、その輪も綺麗なレース編みのように、だんだんと広がっていくのでしょう。

 先日、頭にタオルをかけて道を歩いていたら、向こうから可愛い女の子が歩いてくる。きっとデンマーク人あたりの人かなー、と勝手に決めていたら、「シータさんですよね。いつもブログ読ませてもらってます」とサングラスを取ったお顔が日本人。タオルを頭にのせていることを咄嗟に後悔しましたとも。彼女は岡山の温泉郷でヨガをされてるルミカちゃん。はじめまして!行きます、温泉。絶対。これをご縁に、これからも宜しくね。昨日は、懐かしい日本人のお二人が、リキシャーで尋ねてきてくれたし、私は、遠くにいても、ちっとも寂しいことありません。ありがとう。

 かと思えば、滞在予約をしていた方が、何の変更連絡もなく現れなかったりもした。ここではヴァケーションのシステムはないのだけど、それでも部屋を確保して待っていただけに、途中でなにかあったのではないか、と心配になったり、「あ、その人知ってる、すぐドタキャンするんですよー!」なんて話を聞いたりしていたのが、噂といえども、心に引っ掛かったり・・・。スワミジに日本人て無責任・・・と思われるのが嫌で、「私が確認してみるから、その人とのコンタクトメールを転送して下さい」と言ったものの、「No need!」でしょ。まあ、ご縁がなかったということですが、とにかくご無事であることを祈るばかりです。でも、ご一報いただけたら、嬉しかったな・・・。


 インドにはラクシュミーという女神様の名前がありますが、この女神は、世界の「豊かさ」の側面を表す神様です。ひとくちに「豊かさ」といっても、いろんな場面での豊かさがある。例えば、「成功」としてのそれを「Vijaya Lakshmi」という名で呼びますし、「子供」という恵みであれば、「Santhana Lakshmi」という。そんなこんなで、全部で8つのLakshmiの姿があるのだけど、その詳細が知りたかったので、スワミジに「アシュタ(8)ラクシュミについて教えて下さい」とお願いしたら、ま、いろいろ教えてくれた訳ですね。教えるの大好きだから。

「かくかく、しかじかで、だからSitaが子宝に恵まれたかったら、Santhana Lakshmiに祈るってことだよ」とスワミジ。そしたら横で、司祭のSwami Nivedananandaが、「Sitaの場合はそれ以前にRama Lakshmiでしょ」といって、くっくっくっ、と一人笑っている。8ラクシュミの中に、そんなラクシュミーは居ません。伴侶無しに子は出来無いってことで、Sitaの伴侶、Ramaの名前をくっつけたジョーク。


また、別のある日。スワミジ(G)とのやりとり。

「マラヤラム語はホントに難しいですよねー?」

「うんうん、マラヤラム語と同様に、マラヤラムの男もとても難しいよ。」

で、「知ってます。」(※スワミジもしっかりマラヤラム男してますから)と答えたら、横でSwami N が、かっかっかっか、と笑って止まらなくなっていました。この方、案外、辛口ジョークが好きなのね。


 すべての良いもの、清潔さとか、美しさ、恵み、豊かであることは女神ラクシュミのあらわれ。物質的に、の場合もあるし、精神的豊かさというのは、もっと大事だね。人との縁も、美しく、豊かで、清いものでありますように。

2012年3月12日月曜日

3月11日。



奇跡的に、写真をアップロードするアイコンが出てきました。いま、この瞬間ならば写真が掲載できる。最新のデータを入手していないので、これは12月のサーダナコース中のものですが、Maha Mrytumjaya Homaの写真です。

 あの日から、3月11日から、一年がたちました。

 いつもだったら、別の曜日に行う「Mahamrtyumjaya Homa」が、スケジュールの都合で、今日、3月11日、日曜日に行われました。

 4時半に起きて、行水して、バタバタと準備をしている、その間は忘れていたのです。闇の中で、オレンジ色に燃えさかるHoma(護摩)の火を見つめながら、MrytumjayaのBija Mantraを唱えている時に、突然思い出した。一瞬の間に、いろんなことが脳裏を巡りました。あの地震のあと、リシケシのSivanannda Ashramでは、Mahamrytumjaya Mantraを日本の為に、何時間も何時間も唱えてくれたと報告されたこと。奉仕活動にいった大船渡と、陸前高田の風景。こころの中で作り出されては、何度も何度も再生された、津波のイメージ。亡くなった、そして残された人々の思い。

 私は、公衆の面前で涙を流すということは、ほぼありえないのですが、今日は泣いてしまった。もしかしたら、あの地震のことでは、ずっと泣きたかったのかも知れない。実際に被災していない私が、こんなに泣きたいのだから、実際に被災された方の思いは幾ばくか、計り知れません。


 前にも書いたけど、Murtyuとは「死」、そしてJayaは「勝利する=克服」という意味です。だからMrtyunjayaとは、この「生」と「死」の間で惑い苦しむ性質からの脱却を表す神様の姿。このマントラは、病気の治癒や、旅の安全、修行の成就などの為の他、魂が肉体を旅立つ時に手向けられるマントラです。つまり成仏を願うマントラ。
 図らずも、今日という日を、この儀式で始めることとなった偶然に感謝するのみです。

 
 人間は忘れる生き物です。忘れるということは神様からの贈り物といってもいい。悲しみはみんな、どんどん天に返してしまっていいんだと思う。しかし、同時に人は学ぶ生き物でもある。私たちは、プログラムされた本能のみに従う動物とは違って、自由な意思を持ってる。だから、学びを伝え、明日に活かすことを行うのは、人である証だと思う。現実を見つめて、より良き状況の為に、常にベストを尽くす。それが生きるということだと思う。

 亡くなられた全ての方々、そして生き物たちに、哀悼の意をこめて。

Om Haum Jum Sah Om Bhur Bhuvah Svah.
Om Trayambakam yajaamahe sugandhim pustivardhanam
urvaarukamiva Bandhanaanmrtyormukseeya maamrtaat.

Om shantih shantih Shantih.

2012年3月9日金曜日

NYの小さな会社の、心打たれるメッセージ。

大分昔に、東京でクラスに来てくれていたKumari Kanakoちゃんのブログ(最近、なぜに更新がのんびりなの~?)。そこにとても良いことが書いてあったので、シェアさせてもらいます。

 実は、自分の周辺・・・って訳でもないか・・・、自分の大切な人たちの周りで、起こっているちょっとした(・・・全然ちょっとしてないか!)混乱がありまして、陰ながらだけど、私は、こんなことくらいしか出来ないからさ。・・・というか、私に誰かにしてあげられることなんて、本当は無いんだよね。出来ることは、自分が輝いて幸せに生きることしかない。その姿をさらしていくことしか。だから、これは自分の為のシェアなのかも・・・。

 愛する友よ。以下、読んでちょうだい!
 ネタ元はここ→http://www.sircus.tv/2012/02/ny.html。

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 NYに「持続可能性、地球に優しい」をモットーに、より良いデザインの服や小物を作って販売する『HOLSTEE』という会社があります。彼らは起業するにあたり、最初に「事業計画」を書くかわりに、下記のマニフェストを書いたそうです。そして、その内容には心打たれるものがあります。シンプルだけど力強いメッセージです。なにかに行き詰まったり、落ち込んだり、新しい事を始めたいときや、モチベーションを上げたいとき、非常に勇気付けられる言葉です。ひとりになってじっくり読んでみてください。

これはあなたの人生です。
自分が好きなことをやりなさい。
そして、たくさんやりなさい。
何か気に入らないことがあれば、それを変えなさい。
今の仕事が気に入らなければ、やめなさい。
時間が足りないのなら、テレビを見るのをやめなさい。
人生をかけて愛する人を探しているのなら、それもやめなさい。
その人は、あなたが自分の好きなことを始めたときにあらわれます。
考えすぎるのをやめなさい。
人生はシンプルです。
すべての感情は美しい。食事を、ひと口ひと口を味わいなさい。
新しい事や人々との出会いに、心を、腕を、そしてハートを開きなさい。
私たちは、それぞれの違いで結びついているのです。
自分のまわりの人々に、何に情熱を傾けているかを聞きなさい。
そして、その人たちにあなた自身の夢も語りなさい。
たくさん旅をしなさい。
道に迷うことで、新しい自分を発見するでしょう。
ときにチャンスは一度だけしか訪れません。しっかりつかみなさい。
人生とは、あなたが出会う人々であり、その人たちとあなたが作り出すもの。
だから、待っていないで何か作ることをはじめなさい。
人生は短い。
情熱を身にまとい、自分の夢を生きよう。

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そう、Life is short. Go for it!

でしょ?

おでかけホリデー。

なぜ、写真がアップロード出来ないの?・・・といっても、50回に一度くらいは出来るんだけど、そういうときに限って時間がなかったりね。今日のような日は特に残念です。

 今日はホーリーという色粉をかけ合う嫌~な・・・いえいえ、楽しい祭りの日だったの。私は過去二回体験していて、このブログでも写真を載せてますが、とにかくひどい!でも、今年はケララに居るから大丈夫なのよーん。だって、北インドの祭りだもん・・・安心していたらデリーから来た二人の女子にやられた。まあ、お祝いですからね。ブレッシングということで。。。悔しい!

 三スワミも大変元気にしています。私は相変わらず怒られてますけど、目をかけてもらってる証拠、と思い込むことにして楽しんでます。面白かったのは、また何かヘマをして

「お前の脳みそは一体どうなってるんだっ!」

と怒られたとき。脳みそどうなんだって!今時そんな怒られ方なかなか出来ないよー!と楽しくなってしまった。で・・・

「私の脳みそはFail(ダメ)だって、私のジョーティシ(インド占星術師)が言っていましたよ」

と答えたら、

「なんだ知ってたのか。ふははは。」「うはははは。」

でおしまい。

なんなの、この二人は・・・・。


 それはどうでもよくてですね、昨日のデイオフに私たちは8人で、アムリタプリのアンマ(マーターアムリタナンダマイ)のアシュラムに行って来ました。アンマ知ってる?ハギングマザー。アンマの凄いところは色々あるのでしょうが、災害時の支援派遣の迅速さには目をみはるものがあります。津波、原発のときも、速攻でやってきたと聞いています。

 私はアンマにお会いするのは二回目だけど、アシュラムに来るのは初めて。アシュラム内は写真撮影禁止なので何も見せられないのだけど、一歩踏み入れると、まず西洋人がいっぱい居ますよね。それで私は「ドキッ」と身構えるわけです。西洋は、割と郷に入って郷に従わない文化なので、外国にいっても自分の国と同様に振舞うからね。西洋で普通のことが、インドではタブーだったりするから、時々目に余るのです

・・・ところが、感動しました。これだけ大きなアシュラムだから、すごく沢山の人がいるのだけど、皆の思いが、確実に一方向に向かっているので、とても整然として、ピースフルなんですよ。私が知ってる他のアシュラムみたいに、西洋人の傍若無人が一切無し。びっくりしてしまった。もちろん、そこに居るだけで心が一ところに容易に留まれる、それだけのエネルギーがこの場所にあるってことなのかも知れないけど、なぜ、皆さんが、ここに滞在したがるのか、しみじみわかりました。ん

 そして、アシュラム内の全ての機能がとてもスムーズに働いていることも驚き。もともと、きっと他力本願で、熱狂的で、感情的な信者さんが沢山居る場所に違いない!と勝手に予想していたのだけど、すごく皆さん、静かで普通なのよね。ケララのアシュラムで以前一緒だったレイチェルにバッタリあったけど、あの感情的で、ちょっと無責任だったレイチェルが、とても成長したお姉さんとなっていたのにも驚き。絶対、こんな風に変われる人じゃないと思ってたから。なんだか上手く説明できないんだけど、何か素晴らしいものあるアシュラムでした。

 アンマのハグはどうだったって?エネルギーが凄い!普通の人と違うね~!みたいな感想を聞きたいでしょ?アンマはねー、とっても普通でした。普通というのは、私にとっては最高の褒め言葉で、なかなかどうして、普通ってなれないものと思ってるんだけどね。ふつーにしつつ、朝から晩まで、食事もとらずに、何千人のも人を祝福し続ける凄さ。

 アンマにハグしてもらいながら、あれを祈ろう、あれをお願いしよう、とか、いろいろ考えて行くわけですが、ひとたび彼女の腕にだかれると、完全に頭も心も空っぽになっちゃうの。何の喜びも憂いも、何もかもどうでもよくなる。あれだけ心が空っぽになる瞬間て、実生活では本当に無いんだよね。

 

 水曜日は、ラッキーなことにアンマのダルシャンがある日。私たちも大分待ったけどハグしてもらって、カフェも美味しいし、とても良い休日全員でした。また行きたいな、と心から思ったよ。
 

Jay sri Krishna! おやすみなさい。

またね。

2012年3月8日木曜日

中国、インド、往復書簡。

中国にいるお友達からメッセージ。じゃじゃん。またも勝手に掲載してごめんなさい♪

「アシュラムの生活とはどんなものやら、あまり想像つかぬ・・、と思っていたら、ちょうどさっきNHKのBSで「菅野美穂 ヨガ聖地への旅」とかいうのをやっていました。菅野美穂(どうやら日本でちょこっとヨガを齧っているらしい)が、リシケシのシバナンダ・アシュラムとやらを訪ねる1時間番組。残念ながらアシュラムでのロケは10分ほどで、あとはほとんどインド紀行みたいな番組になっており、で、最後にはそこの高僧のようなスワミなんとかという人(ヨガ界では有名らしいので、知ってますよね?)を(その人は既に病床にあり隠遁生活をしているというのに)無理やり自宅に押しかけて、面会して感動する、みたいな内容で、これじゃ芸能突撃レポーターと同じ では・・・、とちょっと残念なところもあったのですが、それはさておき、菅野美穂の可愛さに見惚れていました。

 というわけで、由美子さんのそちらでの生活の一端は残念ながら垣間見れず、でしたが。

 ヨガを表現する言葉として、番組中にも「心の平穏」や「心と身体の統合」といった言葉がよく使われていたのですが、それは今の日本に対するアンチテーゼみたいに(番組的に)意図的にクローズアップしているしているような感も否めなかったのですが、確かに日本人(西洋人も?)のイメージするヨガ(もしくは禅とかも)そんな印象なのだろうと思うのですが、インドの人もヨガってやっぱりそん な風に捉えてるのかな?僕も実は若い頃はそういう「解脱」めいたことに少し興味というか憧れというのがあって、そんな方面の本を読んだりもしたことがあったのだけど、歳とともに、結局はそんな風にもなれそうにもない、且つあまのじゃくな僕の場合は、「ふん、仙人などにはなりたくない! 下界で己の俗と欲に 正面向かって、一生煩悶していくのが人間」と、これまで俗+欲にまみれた人生をおくって今に至るのですが・・・。ヨガの先生にくだらない質問をしてしまいました。」


それに対する私のお返事が・・・


「夜まで仕事といっても、朝晩は瞑想のサンガっていうんですか、集まりがあるので、そこに行かなきゃいけない、っていうだけなんです。座って30分ほど、瞑想して、そのあと、バジャンっていって、ご詠歌みたいな時間があって(これは私が楽器を弾いて歌ってリードするのですが、結構たのしい・・・)、そのあと先生の講話を聞いて、締めくくりの火の儀式(ガンジス川とかでよくやってるやつ)をして解散になります。

ここでの生活をざっとまとめてみると

5時  起床
5時半 瞑想の集まり
7時  チャイ
7時半 ヨガ
9時半 ランチ
10時半 奉仕活動
11時半 講義
12時半 チャイ
13時半 講義
15時半 ヨガ
17時半 ディナー
19時半 瞑想の集まり
21時半 就寝

・・・・といったかんじ。健康的でしょう?実際大分、体内も、感情的な部分も綺麗になりますよ。そうすると、物事がシンプルになるというか、視界がクリアになりますね。私は、もうなんども、コースを手伝っているので、講義は今回は聞かなくてもいいやー、と思い、事務をしたり、洗濯したり、適当にすごすことにしました。


 ヨガって、つまり、知識が宿れる綺麗な心と体を作る、不純物をためないライフスタイルのことなんです。では知識とは何か、というと、自分自身に関する知識です。

 普段、私=この体ですとか(私太ってますって言う時)、私=この感情です(私悲しいです)、私=職業(私医者です)、私=名前(私由美子です)、というアイデンティファイをしているのですが、これは実は間違いで、それらの全ては変化して、いずれは消えていってしまうもの。では、自分自身の変わらないものってなんなの、みたいな話。それを認識するのが、悟り、ってやつです。こうやっていきなり書いちゃうと意味がわからないけど、結論が幸せとは外にあるオブジェクトではなく、自分自身の存在そのもののことです、っていうこと?自分自身がハピネスだと悟ることを、あるいは、自分の本質ではないもの(名前とか、体とか)から解放されること。


 だから、体が痛くても、地位や名声が低くても、魂が平和な人!のことを悟った人という、そういう人は、どこにでも存在可能ですから、どこにでもいます。言い方をかえると完全な自己受容ってことかな。もうちょっと背が高ければ、とか裕福な家庭に生まれてれば!とか、そういう過不足感のないひと。案外簡単でしょ。」


そうなの。案外簡単なの♪

今日は可愛く♪マークを多用してみました。ルンルン気分(古っ!)

またね。

2012年3月4日日曜日

He acts me.

ロックバンドでベースギターを弾いていました・・・というと、皆が「マジ?」という。180度方向転換でーす・・・というと「信じられなーい!」。

でも、本質的にやってることは変わってない気がする。

バジャンのときは、楽器を弾いて歌いつつも、私は目を閉じてしまってるのだけど、見えないでどう弾くの、っていうんですね、みんな。

・・・で、

「視覚を放棄することで、感覚が冴える。人がリードする知らない歌でも、もれなく弾けるのはそういう訳です。」

と的な返答をしてたんですよ、これまでは。

しかし、最近、言葉としてはっきり気づいたことがある。「感覚が冴えてる私」が演奏してるんじゃないぞ。

I don't play music. Music plays me.

だから、

I don't do yogasanas. Asana itself do me. He acts me.

なんだよね。

ちょっと、また変なこといっちゃてるよユミコジは、と思われてるかも知れないけど、全てのアドヴァイタ達よ、当たってませんか、これ?


Hari om tat sat.

2012年3月3日土曜日

枕草子?

写真をアップロードするアイコンが、またも表示されないので、復旧するまで巡礼記はお休みにするとして、清少納言のごとく、思いつくまま書きますか。(...と思ったら、アイコン出ました。まれに出てくる・・・。Rajeevとの偽婚約写真をアップしちゃおう!)

 嬉しかったこと。

 このブログの先生シリーズでご存知の人もいるでしょうけど、高校の時の陸上部の顧問だった後藤先生が、なんとFacebookで私を探してコンタクトしてくれたこと。嬉しかったなー。人生というのは実に乙なもんだと、またもシミジミ思いました。「出来る出来ないじゃねーんだよ!やるかやらないかだ!」という先生の名言の下りを読んで、泣いちゃったという読者もいるくらいなので、よほど怖かった・・・もとい、よほど心に響く真理を得た言葉なのだと思います。少なくとも17歳の私の胸にはズシリと響きました。

 その先生が、廃校寸前の高校を立てなおす機会を得たとき、カリキュラムにヨーガや、その他のユニークな授業を取り入れた、という話をFacebookで教えてくれました。私がヨガヨガ言っていたのを、心の隅に留めて置いてくださったとのこと。先生とのやりとりをしていると、当時のいろんな思いが紙ふぶきの噴水のように湧き上がって、初々しい気持ちがよみがえってくる。

 アラフォーシングルで、金なし子なしは、ちょっと前の言葉で「負け組」ってやつなんでしょうけど、これはとても幸せな人生だな、と思わずにいられない。そう思える私はまた、とても幸せな人間だ・・・と。男運がなくても、金運がなくても、先生運だけは飛びぬけて良い。つくづく、グルの星に愛された人生でした(なぜに過去形!?)。

 Facebookといえば、Maduraiで一緒だったRajeevが、Facebookで婚約発表をした翌日、ここにひょっこり現れた。コインバトールのダヤナンダアシュラムで三年半のコースに出ている筈の彼がなぜ?やはり婚約と関係が?と思って迎えたら、婚約発表は誰かのいたずらだったみたい。何はともあれ本人に会えて嬉しかったなー。

 Maduraiのアシュラムに居るとき、変な話ですけど、そこは西洋人上主義の世界というか、現代の世界の縮図みたいな状況で、英語も下手で、アジア人の私は、完全にスタッフの輪から外れてしまっていたんですね。あからさまに口をきいてくれない子とかも居た。当時の日記には毎日「つらい、つらい」と綴られてます。そんな状況の中で、私がサヴァイヴ出来たのは、インド人スタッフたちや、インド人生徒たちの存在のお陰でした。てらいなく接してくれる彼らの明るい心が、私を孤独から救ってくれていた。

 西洋の方とは殆ど、深い接触を持つことはなかったけれど、私がインドで、並々ならぬインド人脈を持っているのには、実はそういった経緯があったんですねー。彼らは兄弟同然。だから、こうして数年に一回でも会えるということは、本当にありがたいです。辛かった時間が甦るけど、ソリューションが明らかに見える。孤独なんて概念でしかないことを思い出す。シンプルに明るく生きる糧がある。私がインドに居て楽しいのは、スワミジ達だけでなく、彼らの存在によるところが大きいのかな。Facebook上で「私がその婚約相手です!」といってだまし返したいところなんですけど、Rajeevのアカウントはこの騒動によって消滅しましたー。残念っ!

これが偽婚約写真。左端のオレンジはスワミジ。


 婚約者から転じて・・・どんなタイプが好き?ともし聞かれたら(・・・というか、誰も聞いてくれないので自分で聞いてみた・・・)感覚的に出てくる答えは「才能のある人」みたいな言葉なんだと思うのだけど、才能の中に努力が含まれてるのが人、ひたむきさが、空回りでなく少しずつでも実を結んでる人は、男でも女でも魅力的に思えます。そういう努力・・正しいプロセスは、ちゃんと滲みでて、伝わってくるから、見ているだけでも清清しいね。素材の良さに胡坐をかいているような人は残念。

ここままいくと、止め処なくなりそうだから、閑話休題。

また書きます。

今度はヨガのこと書きましょうね。


またね!